大槌学のすゝめ15

2014年7月10日

「淡水型イトヨ」の緒 その1

 シンポジウム報告書より
 まさに「呼び水」となった共同研究会。
秋道教授の来町がなければ、どうであったでしょう。
 正確な日付は、震災前、海洋研究所に残されていた宿泊記録から確認したもの。
オトコは、日付には無頓着、一方、女性は記念日などを正確に記憶しているのだとか。
真偽のほどはわかりませんが……。
 写真は、自然と共生するまちづくりシンポジウムの報告書から。
 あとがきに、イトヨ保全へ、ということで黒澤辰良さま(鮨辰店主、当時)よりご芳志を頂戴し活用させていただいた、とあります。
 このとき、宮様ご一家は、向川原(むげーがわら)にあった「鮨辰」での夕食を楽しまれました。      
 
「呼び水」。大辞林には、〔本来の水をさそい出すための水の意〕、①ポンプで揚水するとき、ポンプまたはそれに連なる吸い込み管の中を水で満たすこと。また、その水。さそい水。迎え水。②ある物事の起こるきっかけとなる事柄。
 
 平成11(1999)年6月17日のこと。
日本万国博覧会(大阪万博)会場跡地にある国立民族学博物館教授(当時)、秋道智彌氏が来町。相生啓子氏(当時、東京大学海洋研究所助教授、船越湾のタチアマモが世界最長であることを世に知らしめたアマモ研究者)が紹介してくださり、午後の半日、休暇を取って、町内各所をご案内。源水の孵化場に行った折、池にいる小魚が話題に。この時期にいるというのであれば、「ちょっとおもしろいかも」と秋道教授は話されました。そして翌朝、急遽、山崎三雄町長(当時)を表敬訪問、「研究会を大槌で行います」と伝えました。この小魚が「イトヨ」です。
 その年の11月10日と11日、浪板観光ホテル(当時)を会場に、その研究会は開催されました。神奈川県葉山町にある、総合研究大学院大学、教育研究交流センターの共同研究、「生命系における循環と共生研究会」。錚錚(そうそう)たる研究者が大槌に集結。大槌町の海棲(かいせい)哺乳類(宮崎信行氏、当時、前出海洋研究所教授)、海草(相生氏、前出。かいそう、海藻と区別するため、うみくさ、とも)、小魚(拙子)について話題提供。その小魚が、通年いるのであれば、所謂(いわゆる)「陸封型」かも知れない、と議論が集中。秋篠宮殿下からも、「生物多様性に配慮した保全を期待する」とのご発言をいただきました。
 秋篠宮殿下は、この研究会の一員として参加されました。大槌町へのお成りは、このときが二度目。一度目は、昭和59(1984)年7月22日、学習院大学一年生の殿下は、学習院高等科在学中に所属していた地理研究会の夏季巡見に同行され、ご昼食のために、大槌ホテル(当時)に立ち寄られました。
 翌年4月、拙子は企画の係に。平成12年度の「調査計画推進打合会」を経て、平成13年に「淡水型イトヨ調査委員会(委員長、秋道教授)」を発足、森誠一教授(岐阜経済大学)への町からの調査委託により、正式に「淡水型」であることが発表され、翌年には「湧水環境保全検討推進委員会」に移行。
 平成14(2002)年11月6日、城山公園体育館を会場に、「自然と共生するまちづくりシンポジウム~淡水型イトヨ生息環境保全と水循環を考える~」を開催。
 「良い環境の保全には、そこに住んでいる人の協力が不可欠。押しつけではなく、イトヨならイトヨに興味を持ち、住んでいる地域を理解し、大事な環境を保全していただきたい」と、秋篠宮殿下はご発言されました。
(大槌町教育委員会事務局生涯学習課長 佐々木健)