大槌学のすゝめ17

2014年9月8日

虎舞の起源

「虎は千里往(い)って千里還(かえ)る」「風は虎に従う」などと言われます。
現代のようにGPS やレーダーがなかった時代、千石船で、西風の強い冬場、太平洋から西に向かい港に戻るのは容易ではなかったはずです。
前川家の水主(かこ)たちは、自分の港に帰る、そういう強い意志で、この虎舞を、あの時から今に、伝承してきたのでしょう。
 写真は、震災前の吉里吉里祭りでの、虎舞講中のみなさん。
盛岡大学大石泰夫教授、平成22年(2010)年8月22日撮影。
虎舞講中-吉里吉里祭り
 「れりごぉ」。大槌弁ではありません。2013年度第86回アカデミー長編アニメ映画賞受賞作品、『アナと雪の女王』に使用された楽曲、「レット・イット・ゴー」(英: Let It Go)。アカデミー賞歌曲賞にも。
 「ありのままに」と訳されてますが、まったくもって正しいニュアンスではありません。或いは、単純に「放置する」ってことでもありません。
原詩を読む限り、「気にしない!」と自分に言い聞かせています。自分の可能性を固く信じ、それも究めて強い意志で。
 大槌の伝統芸能、「虎舞」。中でも一番古いとされるのが、前川家、吉里吉里地区の虎舞です。
「吉里吉里虎舞講中(こうちゅう)」という呼称は、保存会というそれとは一線を画します。よそに比して、とてもリズミカルでアップテンポ、虎の跳ね方も際だって大きなものです。
 「虎舞」の起源には諸説あるようです。釜石で一番古いとされる片岸虎舞は、山田町大沢から伝承されたとされ、山田町の大沢虎舞は、吉里吉里から伝承されたと今に伝わっています。釜石も山田も、中世は大槌氏の統治下、近世には大槌代官所の管轄下です。
 虎舞は、「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」の「千里が竹(せんりがたけ)」の虎退治を舞踊化したもの。
その「国性爺合戦」は、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の人形浄瑠璃(じょうるり)。正徳5(1715)年に大坂竹本座で足かけ3年のロングラン。当時としては破格のヒットです。この頃の、海の豪商、前川家は隆盛を極めており、大坂までも出かけています。釜石の虎舞には、虎退治の主人公、和藤内(わとうない)は出てきません。平成4(1992)年、「三陸海の博覧会」が釜石を主会場に開催された折、虎舞フェスティバルが開催され、そのときの記念誌には次のように記されていました。釜石の虎舞の起源は、加藤清正の虎退治、と。
 加藤清正は、関白豊臣秀吉による文禄元(1592)年からの「文禄・慶長の役」で朝鮮に出兵。この時の虎退治のことが伝わっています。けれども、この虎退治の話が世間に知られるようになるのは、「絵本太閤記」からであるとされています。
 「絵本太閤記」は、寛政9(1797)年に初編が刊行。人形浄瑠璃での初演は、寛政11(1799)年、歌舞伎の初演は翌年の寛政12(1800)年であり、国性爺合戦からは一世紀近く後年のこと。
 それでも、釜石虎舞は、加藤清正が朝鮮で虎退治したことからであり、国性爺合戦からきたものではないと、一部で言う声があるようです。けれども、前川家が当時大坂に出入りしていたことに類似するような歴史的な事例は他にはなく、ただ単に、主人公である和藤内がいつしか伝承されなくなったと稽(かんが)えるのが妥当であるとの見地、否定されましょうか。
 一部新聞紙面に踊った合併論議の再燃なぞ、「れりごぉ」。個性あるまちづくりにこそ、伝統芸能の伝承、そして郷土愛。次世代に伝える気力・能力・知力、決して失せはしません。「おりごぉ」ですから。
(大槌町教育委員会事務局生涯学習課長 佐々木健)