大槌学のすゝめ20

2014年12月11日

「大槌港灯台」今昔と「虎舞」異聞

 写真は震災前の蓬莱島。
 平成24(2012)年12月13日、新しい灯台の点灯式。赤浜在住の岩間みな子さんのデザイン。灯台の光源の部分は太陽、胴体の部分は砂時計をイメージ。赤浜小学校6年生(当時)の黒沢宏太君が書いた「大槌港灯台」の表札も。
 点灯50周年の記念式典で、当時の山崎三雄町長は『この大槌港灯台があることで、漁業者の安全が保たれ、また水産業の繁栄を支えてきたこともまぎれもない事実であります。こうしたことが、あの平成9(1997)年、天皇皇后両陛下の御臨席のもと開催された「第17回全国豊かな海づくり大会」を、我が大槌町にもたらしたと言っても過言ではありません。このことはまさに千載一遇。これまで慣れ親しんできた灯台への感謝を、町民とともに思いを新たにするとともに、その存在の意義を未来へ問う好機であります』と。
蓬莱島(震災前)
 熱狂的な、といえば、阪神タイガースファン。勝っても負けても叱咤激励。
平成26(2014)年の日本シリーズでは、初戦は勝利したもののまさかの四連敗。
このときの叱責も半端じゃなくて。おっと、虎ファンから本気度の譴責(けんせき)が。
 さて、人が虎に「へんしーん」する時、あります。酒を呑んで虎になる、周りにいませんか?
 
 師走。この時期の寄席、大いに演じられるのが「芝浜」。
大晦日の夜。三年断っていた酒を女房から勧められ、呑もうと杯を口まで持っていく、けれど、「また夢になるといけねえ」と・・・・・・。
 朝早く起こされた魚屋の勝五郎、魚の仕入れに芝浜へ。
一時も早く起こされ、むしゃくしゃしていると、渚で大金の入った革の財布を。慌てて長屋に戻り、根っからの呑兵衛は浮かれて酒盛り、そして泥酔。機転を利かした女房が「財布を拾ったのは夢」と詐り、勝五郎は仕事に勢を出し、倹しく三年経過。
女房は大金をお上に届け出るも、落とし主が現れず、大金は届け出た女房のもとに。借金取りが来ないようになった大晦日、「騙して悪かった」と革の財布を出し、そして女房は酒を。
 
 浜は浜でも、「芝浜」ではなく、赤浜。
 平成25(2013)年8月8日。蓬莱島は、町の記念物(種別:名勝)に指定。
 この蓬莱島にある大槌港灯台。昭和28(1953)年12月20日に初点。それから50周年の平成15(2003)年、各種イベントを開催。
50周年記念式典とミュージックチャイム鳴らし初め式は、その年の11月1日に赤浜小学校で。
 その11月1日は「灯台記念日」。日本最初の洋式灯台は、明治元(1868)年に東京湾の観音崎に設置。この日に着工されたことを記念し、海上保安庁が昭和24(1949)年に制定。
 戦後、当時の漁業協同組合を中心として、蓬莱島への灯台設置を働きかけ、昭和28年の初点を迎えたとされています。以来、昭和から平成の今日に至るまで、大槌港灯台は、湾内を行き交う漁船と漁民の生業を見つめてきました。また、蓬莱島に祀られている「弁財天」は、豊穣の守護神として、漁業者のみならず地域住民の信仰を集めてきました。
 
 この赤浜に、昭和49(1974)年、「赤浜虎舞」が結成。その後、弁財天に因み「陸中弁天虎舞」へ改称。
 虎は虎でも、先の広報9月5日号の「大槌学のすゝめ17虎舞の起源」に誤り。「釜石の虎舞に和藤内(わとうない)がない」ではなく、現状を確認するよう、釜石の方から適切な指摘を受けました。「和藤内、あります」と訂正させていただき、併せて、軽佻浮薄(けいちょうふはく)、智識浅短局量褊小(ちしきせんたんきょくりょうへんしょう)、ご容赦願います。
所蔵書籍も藻屑と化し、尋ねるも行き着かず。拙子(せっし)の偏執(へんしつ)による誤認か、誤謬(ごびゅう)か否か、聢(しか)と確かめたいもの。幾許(いくばく)かの時間を頂戴し、数多(あまた)存在する「起源」説を後に供覧陳ずる機会を得たいと冀望(きぼう)します。

 ご上洛、京都のこと。上七軒(かみしちけん)、祇園甲部(ぎおんこうぶ)、祇園東(ぎおんひがし)、嶋原(しまばら)、先斗町(ぽんとちょう)、宮川町(みやがわちょう)の六つの花街(かがい)、これらを総称して京都の六花街と。平成26(2014)年、京都市は「京都をつなぐ無形文化遺産」に「京・花街の文化」を選定しています。この花街で、舞妓さんとのお茶屋遊びの時に歌われるのが「和藤内」。「拳(けん)」と呼ばれるじゃんけんのような遊び。
 
 千里走るよな 藪の中を 皆さん覗いてごろうじませ
 金の鉢巻襷(はちまきだすき)に 和藤内がえんやらやと 捕らえし獣(けだもの)は
 とらとーら とーらとら 
 (大槌町教育委員会事務局生涯学習課長 佐々木健)