大槌学のすゝめ22

2015年2月19日

虎舞所伝 ~香り高い郷土文化の継承と創造のために~

 昭和10年代の「安渡虎舞」。現在の衣装とは趣(おもむき)を異(こと)にしています。もっとも、祭り袢纏(ばんてん)などというのは江戸文化の受け売り。かつては襦袢(じゅばん)が主流。
 虎の胴が長いのは、戦争に徴兵され出兵する男衆が、「千里往(い)って千里還(かえ)る」ことができるよう、胴の中に入り、一緒に舞った、とのこと。写真は、安渡虎舞提供。
 このトラたち、世界にわずか4000頭ほど、絶滅の危機に。そこで、平成10(1998)年、WWF(世界自然保護基金)ジャパンが「トラ保護キャンペーン」を展開。安渡虎舞はそれに協賛し、お祭りのお花の一部をトラ保護のために寄付。その縁で、震災直後の4月、WWF ジャパンのみなさんが緊急募金を届けに大槌に、そしてボランティア活動も。
 ところで、このトラは、脊椎動物亜門哺乳綱(せきついあもんほにゅうこう)ネコ目(食肉目)ネコ科。猫って、段ボール箱に好んで入ります。なんと、トラもライオンも段ボール箱に入るそうです。どうやら、ネコ科の動物たちには「箱を見ると入りたくなる」という共通の習性があるみたいですね。
安渡虎舞(昭和10年代)
 lamb は「子羊」のこと。幼い頃に口ずさんだでしょう「メリーさんのひつじ」は、このlamb です。マザーグースの童謡、原題は、Mary had a little lamb. ramは雄羊。rum はラム酒、過ぎるとまた虎に。
 元ビートルズのポール・マッカートニーは、1972(昭和47)年に、同じタイトル曲を発表。原曲とは少し歌詞は異なりますが、fleece was white as snowは一緒。原曲では、雪のように白い綿毛、と訳されています。このfleece は羊毛のこと、今では誰もが着用するようになった「フリース」はここから。
 羊にまつわる四字熟語やことわざ、たくさんあります。「十羊九牧(じゅうようきゅうぼく)」、「牽羊悔亡(けんようかいぼう)」、「多岐亡羊(たきぼうよう)」、「羊質虎皮(ようしつこひ)」など。どれも耳が痛くなる思いです。その「羊質虎皮」、ことわざ辞典によると、外見だけは立派だが、それに実質が伴っていないことの譬(たと)え。知ったか振りをすると、とんでもないことになるのが相場。落語の「千早振(ちはやふ)る」、「鶴」、「ちりとてちん」などに登場してますから、百も承知二百も合点(がってん)でしょう。「大槌学のすゝめ17 虎舞の起源」では、どうやら、恰(あたか)も虎の皮を被(かぶ)ったかのような「シッタカブリ」が出張ったようで、、、恐縮の極み。
 「大槌学のすゝめ20」で約束した「虎舞の起源」を。季節が春なだけに「百花繚乱(ひゃっかりょうらん)」であれば嬉しいのですが、諸説入り乱れる様(さま)は喩(たと)えようもなく、まさに「多岐亡羊」。
 気を取り直して、虎と虎舞に関する諸説のいくつかを。
 まずは、万葉集。柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の高市皇子尊(たけちのみこのみこと)への挽歌(ばんか)に、「虎可叨吼登」、すなわち、「虎か吼(ほ)ゆると」と登場。万葉集は7世紀後半に編(あ)まれたとされ、日本には生息していない虎はすでに認知されていたことになります。
 釜石浜町の尾崎神社。ご祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)、ここに閉伊頼基(へいよりもと)(平安後期から鎌倉前期)が合祀(ごうし)されています。この頼基に関係し、将士の士気を鼓舞するため、虎の着ぐるみを着せて踊らせた、という説。
 「尾崎神社略記」に拠れば、遙拝所(ようはいじょ)が元禄12(1699)年に造営され、この時に虎舞が舞われた、という説。
 前川善兵衛の水主(かこ)(船乗り)は山田の大沢地区に多くいて、大坂まで行って「国性爺合戦」を観て舞踊化した、という説。
 本来、人形浄瑠璃から、であったはずのものが、歌舞伎からと口伝されている例。
 寛永(1624~1645)の頃に山田の大沢から始まり、釜石の片岸に伝わり、天保(1830~1844)の頃に片岸から安渡に伝わった、という説。
 幾度もの津波や戦災などもあり、伝承に関わる古文書の類は残されていません。口頭伝承が長きに渡り行われ、いろんな話が混交するなどしたことは、想像に難くありません。
 けれど、歴史から確実に言えることは、大槌氏が城山から睥睨(へいげい)していたおよそ280年もの時間がそこにあり、南部氏の謀計(ぼうけい)による大槌氏滅亡後は、代官所の時代が約240年という時間。ざっと520年もの間、我が大槌は、まさに沿岸部の政治や経済、交通、さらには文化の中心であったことは否定されません。その上、和藤内が「登場する」「しない」に拘(かか)わらず、大槌虎舞の形態が伝承されているエリアは、「大槌通(おおづちどお)り」と呼ばれる大槌代官所管内に他なりません。
その文化創造と発展に大いなる功績を残したのは、かの前川善兵衛の活躍であったことも、紛れもない事実です。
 これまで多くの研究者が、虎舞の起源を含め、調査を行ってきています。民俗学的なフィールド調査には自ずと限界があります。それでも、大槌の誇りである郷土芸能は、確実な未来に向けて舞い続けられ、伝承されていくことでしょう。
 地方分権や地方創生、地方再生という言葉の「地方」は、田舎を指すものではありません。震災復興に向かう今こそ、地方に住む私たちが、声を発することが求められています。加えて、復興のまちづくりには、香り高い郷土の文化を育て、大槌の独自性をみんなで共有することも、善(よ)く善(よ)く有意あることではないでしょうか。
 「群羊(ぐんよう)を駆(か)って猛虎(もうこ)を攻(せ)む」は、住民の結集結束が成せる技、なのです。
(大槌町教育委員会事務局生涯学習課長兼図書館長 佐々木健)