大槌学のすゝめ23

2015年3月13日

祈りの空間 御社地「天満宮」再興を

 写真は、かつての御社地。昭和の初め頃か。
 末裔の菊池家は、戦後まで「天満宮」のお祭りを地域一帯で行ってきましたが、やがて縮小。教育委員会の調査や「文化財展」開催などにより、協同組合大槌末広町商店会は補助金を得て祭りを復活。さらには自治会組織「御社地会」が、平成3(1991)年に誕生します。
 池を埋める計画から一転、御社地が、そして「天満宮」がそれまで以上に、人々に親しみを持って受け入れられるように。受験シーズンともなれば、「天満宮」に手を合わせる受験生が多く見受けられるようになりました。
 参考文献:「閉伊の木食(もくじき) 慈泉と祖睛」、平成10(1998)年、元大槌町文化財保護審議会会長、花石公夫著

御社地-昭和の初め頃.gif

 自省の駄文、次号で終いとなります。井上ひさしさんの信条に及ぶものでは到底ありません。けれど、大槌の素晴らしさ、良さ、その一端でも伝わったものかどうか。果たして、それらを共有できる空間になったのかどうか。
 家人が休んだ仮設住宅の部屋。深夜。乾いたキーボードの音が小さく響く時間。恭悦至極。感謝です。


 「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく おもしろいことをまじめに 書くこと」
 井上ひさしさんは、この言葉を、芝居を書く上での信条としていました。
 立ち止まって考えるまでもなく、「難しいこと」だらけの日常です。町の復興然り、生活の再建も同様、仕事のこと、子育てや健康のことなど、人それぞれ、難局に直面しています。そして、それをどのように解決していくか、日々、悩み苦しんでいます。けれど、きっとそれを乗り越えることができます。「だけど僕らは挫(くじ)けない」は、私たちの背中を押してくれます。そして、そこには、ただ、「祈る」という思いも。
 震災前には、様々なイベントが行われ、町の中心部でもあった「御社地」。明和元(1764)年に、菊池祖睛が荒れ地を購入し整備を開始。中央に池を配し、周辺に名松をめぐらせます。池には中島があり、名松と石の祠(ほこら)、そこには弁財天を祀ります。池の北側に築山(つきやま)を、その西側に「天満宮」が鎮座。
 「天満宮」への参道が続きます。池の前にあった「ひびき鮮魚店」と「花屋敷」の間の道が南に通じます。道の東側は、「若山食堂(地中海)」、「内金崎自転車店」、「ラリー」、「三四郎」、「十字屋」。西側は、「みずかみ(及新、マイヤ)」、「ひび又屋」、馬鍛冶屋の「七福」、「金崎書店」に抜ける道です。
 天満宮の西側、祖睛はそこに庵(いおり)を結び、生涯の修行精進の場とし、「東梅社観旭楼(とうばいしゃかんぎょくろう)」と名付けます。ただ、その楼号を遠慮してか、「柳下窓(りゅうかそう)」と呼んでいます。大きな柳の木があったのかもしれません。天満宮拝石の下には、諸国霊地霊山の土砂などを埋納し、この石の上で参拝すると、これらの霊地霊山を巡礼参拝したことと同じであると。
 この「天満宮」のこと。明和6(1769)年に、祖睛は、京、大坂、長崎への諸社寺参拝の旅に出ます。筑柴大宰府で、宮司満盛院快傳師(みやじまんじょういんかいでんし)に「天満宮」の分霊を請願。神匳(しんれん)に添えて許書を授かり帰ります。
 時代は一気に現代。昭和50年代後半のこと、イベント会場として定着してきた「御社地」の池を埋めようという案が浮上。町にとって貴重な文化財であることから、当時担当だった拙子は、計画見直しを進言。その後、調査を進めると新たな発見が続きます。その一つが、祖睛の「睛」。町史でも、それまでは「晴」と表記。画竜点睛(がりょうてんせい)の「睛」であることに気づきます。一方、横浜は鶴見の曹洞宗大本山総持寺(そうとうしゅうだいほんざんそうじじ)に、祖睛書写の「正法眼蔵(
しょうぽうげんぞう)」が什宝(じゅうほう)として所蔵されていることを知ります。遠野市曹源寺(そうげんじ)所蔵、祖睛書写の大般若経六百巻(だいはんにゃきょうろっぴゃっかん)は、その後、市の指定文化財に。
 先頃、太宰府天満宮を再訪。平成3(1991)年に調査でお世話になった、味酒安則禰宜(みさけやすのりねぎ)に再会。味酒禰宜は、菅原道真公の門弟味酒安行(うまさけやすゆき)の43代目の子孫。味酒安行は、道真公が政略により京から大宰府に下る折、付き従ってきた方。以来、道真公に仕え、没後は、祭祀と追善供養をつとめます。その後、御墓所の上に祀廟(しびょう)が創建。やがて道真公は無実が証明され「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」の御位(ぎょい)を贈られ、「天神様」と崇められるようになったとされます。この味酒(うまさか)さんに関係し、味酒大明神(うまさかだいみょうじん)の小さな祠が、東梅社境内にありました。
 現在、御社地は「中心市街地」としての整備が進むことになっています。味酒禰宜に、「天満宮」再興のことを尋ねると、「きちんとした組織による再興願いであれば、分霊は不可能ではない」との心強いお言葉を頂戴しました。行政は、直接そこに関与することは叶いませんが、御社地に「天満宮」を再建、そう遠くない時期に実現されると良いですね。
 「御社地」は、祖睛を敬う地域の方々が、尊崇(そんすう)の思いで「御」を用い、御、社(やしろ)の地ということで「御社地」と呼ばれるようになったとされます。
 過日、井上ひさしさんに関係したシンポジウムに招かれた折、奥様のユリさんも臨席されており、終わってからお声がけいただきました。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをみじかく、ね」と。長々とお話したつもりはありませんでしたけれど、実際はそうではなかった、ということなのでしょう。改悛(かいしゅん)。

(大槌町教育委員会事務局生涯学習課長兼図書館長 佐々木 健)