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「花と緑のおもてなし」大槌町を花いっぱいに!!

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 2011年。東日本大震災が起こったその年の夏。国道45号線、大槌バイパスの花壇に、ひまわりが咲いていたのを覚えていますか?

 夏空に映える鮮やかな黄色い花びら。力強く根を張り、上へ上へと伸びていくその姿。瓦礫が広がり、色を失った大槌町に、たくさんの小さな希望を与えてくれました。

「みんな、自分に何かできることはないかを考えていたんです」

 このひまわりを植える活動をしていたのが、阿部智子さんです。

 

 阿部智子さんは東京生まれの東京育ち。洋裁関係の仕事をしていたお母さんの影響もあり、専門学校卒業後はファッション界で有名な「モリ•ハナエ」さんの会社へ就職しました。10年にわたり、展示会やショーなどのコーディネートを手掛け、ファッションやものづくりの最前線で働きました。

 

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 そんな時、夫の敬一さんと出会い、結婚。長男、次男を東京で出産したのちに、敬一さんのふるさとである大槌町へ家族で移住することを決めました。農家の長男だった敬一さんは、今の時代のニーズに合った新しい農業を大槌で行おうと様々な取り組みを始めました。

 三男が産まれ育児に奮闘しながらも、智子さんは敬一さんを支え、大槌での暮らしの基盤を固めていきました。

 

 そして2011年、東日本大震災が起きました。自宅は被災を免れたものの、津波は畑や田んぼまで押し寄せ、塩害の影響で作物を育てられなくなりました。町全体が甚大な被害の中、智子さんは周りの人たちと「自分にできること」を考え始めます。

 

花プロジェクト

 

 智子さんに大きなきっかけを与えたのが、釜石市の根浜海岸にあるホテル「宝来館」の女将さんでした。塩害にはひまわりや菜の花を植えるといいという話があり、女将さんのもとには全国からたくさんの花の種や苗が送られてきていました。「宝来館」がある根浜海岸は、大槌湾に面しています。

「大槌湾に沿って走る国道45号線を、花でいっぱいにしてはどうか」

 この言葉をきっかけに、その年の6月、智子さんたち「花プロジェクト」の活動は始まりました。

 

「まだまだ町は瓦礫の山、町民の人たちがそれどころではないのは分かっていました。でも、こんな時だからこそやるべきだ、やってほしいという声に背中を押されたんです」

 

 瓦礫撤去などに集まったボランティアの人手に余裕がある時に、その人たちの手を借り、花壇の瓦礫を撤去するところから、少しずつ活動を展開。夏には満開のひまわりが、震災で色を失った大槌町を鮮やかに彩りました。

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 もう一つ、震災後に智子さんが始めたのが、カフェ&レストラン「Ce-café」です。シェフはなんと敬一さん。中華・エスニック系をメインに、地元の食材を使った料理を提供しています。

 「Ce-café」のモットーは「チャレンジできる場」「出会いの場、そして深める場」「チャンスの提供」。ワンデーシェフやワンデー居酒屋など、お店をやってみたい人や起業を考えている人などにお店を貸出し、協力をしています。

 

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 現在、来月の4月23日と29日に行う花壇のリニューアルに向けて、構想をめぐらせ、たくさんの参加を呼びかけている智子さん。町内の参加者がなかなか増えない現状と向き合いながら、震災以来、春と夏に花を植え続けてきました。

 「“ボランティアに参加しましょう”と誘っても、人の心を動かすのはとても難しいこと。“大槌に来てくれた人が必ず通る場所を、花でいっぱいにして出迎えてあげたい”という思いを伝えることで、みんなが関わってくれたら…」と、優しく微笑みながら語ってくれました。

 

 大槌の人たちの明るい笑顔が花咲く「おもてなし」の花壇。そんな未来を確かに見つめながら、智子さんは今日もメンバーと共に「花プロジェクト」を大切に育んでいます。

 

(KAI OTSUCHI)

 

T04.jpg阿部智子(あべともこ)さん 51歳

東京に生まれ洋裁の専門学校を卒業しアパレル関係の仕事に就く。 その後結婚し大槌へ住み「Ce-café」を経営。 夫・敬一(けいいち)さん、長男・賢太郎(けんたろう)くん、次男・雄一(ゆういち)くん、三男・雅俊(まさとし)くんの5人家族。 大槌の玄関となるバイパス沿いを花いっぱいにし「花と緑のおもてなし」を楽しく進めている。

 
 

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