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浪板(なみいた)海岸(かいがん)砂浜(すなはま)を!(うみ)開き(びらき)もう一度(もういちど)実現(じつげん)したい!

三陸(さんりく)リアス式海岸(りあすしきかいがん)位置(いち)する岩手(いわて)(けん)代表(だいひょう)する美しい(うつくしい)浪板(なみいた)海岸(かいがん)。「片寄せ(かたよせ)(はま)」として知ら(しら)れ、海水浴(かいすいよく)やサーフィンなどが盛ん(さかん)でした。

震災(しんさい)により砂浜(すなはま)消滅(しょうめつ)してしまった海岸(かいがん)もう一度(もういちど)(うみ)開き(びらき)再開(さいかい)させたい」。浪板(なみいた)でサーフショップを経営(けいえい)する杉本(すぎもと)(ひろし)さんは日々(ひび)浪板(なみいた)海岸(かいがん)砂浜(すなはま)再生(さいせい)プロジェクト」に取り組ん(とりくん)でいます。

 

杉本さんインタビュー写真

 

浪板(なみいた)海岸(かいがん)沿い(ぞい)(むかし)から地域(ちいき)(ひと)慣れ親しま(なれしたしま)れているサーフショップ『K-SURF』があります。サーフィングッズはもちろんの(こと)衣類(いるい)やかっこいいアクセサリーなども販売(はんばい)していて、ハワイアンテイストに溢れる(あふれる)おしゃれで素敵(すてき)なお(みせ)。サーフィンや近年(きんねん)流行(りゅうこう)のSUP(スタンドアップパドルボード)と呼ば(よば)れるサーフボードの(うえ)立ち(たち)パドルで漕ぐ(こぐ)マリンスポーツのレッスンも行っ(おこなっ)ています。

 さらにオーダーメイドのウェットスーツやサーフボードの製作(せいさく)もしていて、中でも(なかでも)サーフボードの製作(せいさく)は、オーナーの杉本(すぎもと)さん本人(ほんにん)がボードの(いた)材料(ざいりょう)である発泡(はっぽう)ウレタンを切り出し(きりだし)、FRPという樹脂(じゅし)加工(かこう)施し(ほどこし)お客様(おきゃくさま)(いち)(にん)(いち)(にん)にあったボードを作っ(つくっ)販売(はんばい)しています。

 「その(ひと)知っ(しっ)ているから、その(ひと)動き(うごき)知っ(しっ)ているからこそ、いいものを作っ(つくっ)提供(ていきょう)できる」。まさに、(ひと)との接点(せってん)原点(げんてん)にした「ものづくり」を大切(たいせつ)にしながら、愛情(あいじょう)込め(こめ)てボードを作っ(つくっ)ているのを目の当たり(まのあたり)にした瞬間(しゅんかん)でした。

 

K-surf店内写真

 

震災(しんさい)(まえ)浪板(なみいた)海岸(かいがん)は、毎年(まいとし)(なつ)になると(うみ)開き(びらき)行わ(おこなわ)れ、杉本(すぎもと)さんが経営(けいえい)する(うみ)(いえ)開店(かいてん)し、その時期(じき)になると岩手(いわて)(けん)内陸(ないりく)()(けん)(がい)からやってくる海水浴(かいすいよく)(きゃく)やサーファーで賑わい(にぎわい)800メートルにも及ぶ(およぶ)海岸(かいがん)埋め(うめ)尽くさ(つくさ)れるほどでした。お(みせ)経営(けいえい)のいい(とき)悪い(わるい)(とき)もありましたが、「砂浜(すなはま)があり(うみ)(いえ)があり、たくさんの(ひと)賑わう(にぎわう)浪板(なみいた)海岸(かいがん)。あの(とき)良かっ(よかっ)たなぁ」と杉本(すぎもと)さんは震災(しんさい)(まえ)懐かしむ(なつかしむ)ように話し(はなし)てくれました。

 

杉本さんインタビュー写真

 

基礎(きそ)すらものごんねぇ、()たっけばぁ(なに)もながった」

2011(ねん)3月(さんがつ)東日本(ひがしにっぽん)大震災(だいしんさい)で、海沿い(うみぞい)にある杉本(すぎもと)さんの経営(けいえい)するK-SURFは建物(たてもの)基礎(きそ)すらも残ら(のこら)ないくらい、跡形(あとかた)もなく津波(つなみ)にのみこまれてしまいました。その(とし)12月(じゅうにがつ)杉本(すぎもと)さんは、出身(しゅっしん)である釜石(かまいし)()大只越(おおただこえ)(まち)での営業(えいぎょう)再開(さいかい)。「またこの仕事(しごと)をしようか迷っ(まよっ)たけど、(おれ)にはこれしかできない」とお(みせ)再建(さいけん)決め(きめ)ました。しかし、仮設(かせつ)店舗(てんぽ)(うみ)から少し(すこし)離れ(はなれ)(まち)(なか)にあり4(ねん)ほど営業(えいぎょう)した(ころ)(とし)経つ(たつ)につれてお客(おきゃく)さんの(かず)減少(げんしょう)傾向(けいこう)に。

 「やっぱり(うみ)のそばじゃなきゃだめなんだよなぁ」。

 そう思い(おもい)浪板(なみいた)近辺(きんぺん)高台(たかだい)土地(とち)探し(さがし)ていた(とき)(いま)(みせ)がある「浪板(なみいた)海岸(かいがん)ヴィレッジ」の建設(けんせつ)(はなし)持ち上がり(もちあがり)ました。

 「でも、砂浜(すなはま)もなくなってしまった海岸(かいがん)での(サーフィンの)レッスンは初心者(しょしんしゃ)には危険(きけん)。それに、また津波(つなみ)来る(くる)かもしれない」。杉本(すぎもと)さんは震災(しんさい)(まえ)同じ(おなじ)場所(ばしょ)営業(えいぎょう)する(こと)について、かなり迷い(まよい)悩ん(なやん)だそうですが、「やはり(うみ)のそばで営業(えいぎょう)したい。砂浜(すなはま)なら小久保(こくぼ)海岸(かいがん)吉里吉里(きりきり)浪板(なみいた)海岸(かいがん)()にある(はま))があるじゃないか!」と(あたま)切り換え(きりかえ)震災(しんさい)(まえ)同じ(おなじ)敷地(しきち)(ない)での営業(えいぎょう)決意(けつい)したのだそうです。

 

震災前のK-SURFの写真

震災(しんさい)(まえ)のK-SURF

 

 震災(しんさい)(まえ)から、杉本(すぎもと)さんは(みせ)経営(けいえい)傍ら(かたわら)全国(ぜんこく)のサーファーに向け(むけ)浪板(なみいた)海岸(かいがん)(なみ)情報(じょうほう)もネットを通じて(をつうじて)配信(はいしん)するお仕事(しごと)もしていて、震災(しんさい)()も、その情報(じょうほう)頼り(たより)全国(ぜんこく)からサーファーが浪板(なみいた)海岸(かいがん)訪れる(おとずれる)ようになりました。「でも、砂浜(すなはま)がなくなり(うみ)地形(ちけい)変わっ(かわっ)てしまい、サーフィンに適し(てきし)(なみ)立ち(たち)づらくなっているのも事実(じじつ)。そのせいかサーファーの(あし)遠のい(とおのい)てしまっている」と話す(はなす)杉本(すぎもと)さん。そこで()をつけたのがSUP。日本(にっぽん)でも3(ねん)〜4(ねん)(まえ)から流行り(はやり)はじめ、(やま)囲ま(かこま)れた(かぜ)影響(えいきょう)受け(うけ)にくい浪板(なみいた)海岸(かいがん)はSUPにとても適し(てきし)ていることもわかりました。

 初心者(しょしんしゃ)でも少し(すこし)のレッスンで乗れる(のれる)ようになり、(からだ)でバランスをとりながらパドルを漕ぐ(こぐ)のでウエストの引き締め(ひきしめ)などダイエット効果(こうか)もあるので女性(じょせい)にも人気(にんき)なのだそうです。

 

杉本さんサーフィンの様子

 

 杉本(すぎもと)さんは砂浜(すなはま)再生(さいせい)諦め(あきらめ)ていません。「砂浜(すなはま)のある浪板(なみいた)海岸(かいがん)もう一度(もういちど)(うみ)開き(びらき)をしたい。(うみ)開き(びらき)前夜祭(ぜんやさい)開催(かいさい)して(あさ)まで(だい)パーティーを開き(ひらき)たい」。

 毎年(まいとし)(うみ)開き(びらき)計画(けいかく)夢見(ゆめみ)て、想い(おもい)巡らせ(めぐらせ)ているのだそうです。

 復興(ふっこう)進み(すすみ)(さん)(りく)(どう)建設(けんせつ)進む(すすむ)(なか)浪板(なみいた)(あし)運ぶ(はこぶ)(ひと)(かず)がどんどん減少(げんしょう)していくのを感じ(かんじ)ている杉本(すぎもと)さんは、「この2(ねん)のうちになんとか砂浜(すなはま)再生(さいせい)実現(じつげん)したい。(いま)やらなくていつやるのか」と力説(りきせつ)します。

 

 でも、それにはお金(おかね)がかかるのも事実(じじつ)砂浜(すなはま)再生(さいせい)にかかる費用(ひよう)は、とても個人(こじん)負担(ふたん)できる金額(きんがく)ではなく、補助(ほじょ)(きん)でまかなうにも限度(げんど)があります。そこで、杉本(すぎもと)さんは今年(ことし)6月(ろくがつ)浪板(なみいた)海岸(かいがん)砂浜(すなはま)再生(さいせい)プロジェクト」を立ち(たち)上げ(あげ)署名(しょめい)活動(かつどう)始め(はじめ)ました。すでに2(まん)超える(こえる)署名(しょめい)杉本(すぎもと)さんの(もと)届い(とどい)ています。「砂浜(すなはま)復興(ふっこう)地域(ちいき)人達(ひとたち)願い(ねがい)でもあり、ここにゆかりのある全国(ぜんこく)波乗り(なみのり)たちの願い(ねがい)でもあるはず」と杉本(すぎもと)さん。「浪板(なみいた)もう一度(もういちど)(うみ)開き(びらき)を!」。それは復興(ふっこう)への大きな(おおきな)第一歩(だいいっぽ)であり、杉本(すぎもと)さんの復興(ふっこう)LIFEそのものなのです。(KAI OTSUCHI)

 

 

 

杉本さんプロフィール写真

杉本(すぎもと) (ひろし)さん

 

中学生(ちゅうがくせい)(とき)に、スケボーの部品(ぶひん)買い(かい)にサーフショップに行き(いき)、その(みせ)のオーナーに勧め(すすめ)たれたのがきっかけで、サーフィンを始める(はじめる)

19(さい)(とき)にサーフィンの修行(しゅぎょう)のためにカリフォルニアへ渡米(とべい)し、23(さい)でプロサーファーの資格(しかく)取得(しゅとく)

その後(そのご)釜石(かまいし)()でK-SURFを経営(けいえい)し、2003(ねん)浪板(なみいた)海岸(かいがん)(みせ)移転(いてん)

東日本(ひがしにっぽん)大震災(だいしんさい)でお(みせ)丸ごと(まるごと)流出(りゅうしゅつ)したが、再建(さいけん)し2011(ねん)12月(じゅうにがつ)K-SURFを再開(さいかい)

(つま)利江子(りえこ)さんと2(にん)子供(こども)持つ(もつ)趣味(しゅみ)仕事(しごと)杉本(すぎもと)さんです。

元々(もともと)、スケボーもやっていた杉本(すぎもと)さんは、浪板(なみいた)にもスケボーパークを作り(つくり)たいと、意欲(いよく)示し(しめし)ます。

 

資格(しかく)

JPSA公認(こうにん)プロサーファー

JPSA公認(こうにん)サーフィンスクールインストラクター

SUPA公認(こうにん)ベーシックインストラクター

H64 SURF BOARDS Shaper

SUPA 岩手(いわて)(けん)支部(しぶ)(ちょう)

 

 

 

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